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福留孝介(阪神タイガース)近鉄入団を拒否!!松井秀喜の三冠王を防ぐ!!強肩強打!!
今回は阪神タイガースの福留孝介選手をピックアップします~!
野球ファンだけじゃなく、誰でも知ってる程の一流選手です。日米通算2000本安打のことでも話題になっていますが、福留選手の凄さを辿っていけば野球をするために生まれていたのかというくらいの実績を積まれています。
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中日ドラゴンズ、メジャー、阪神タイガースと色々なチームを経験して常に主力としてチームに君臨してきた福留選手ですが普段は子供っぽい感じでヒーローインタビューでも冗談を連発したりと、プレーしてるときとは全然違う印象がありますね。
この記事では福留選手の嫁や子供について、気になる年俸や有名だった高校時代や全盛期だった中日ドラゴンズ時代にも迫っていきたいと思います~!
目次
福留孝介(阪神)の嫁は年上?子供は何歳?
福留選手の嫁や子供についてまとめていきます。
福留選手は2008年にメジャー挑戦したわけですが、2007年11月12日に結婚されています。お相手の女性は「丸茂和枝さん」という方で一般人の方です。
嫁・和枝さんは当時ロングヘアのスレンダー信州美人で女優の小雪さん似ということで話題となっていましたね
年齢は福留選手よりも5歳年上だそうで、9年間の交際期間を経てご結婚されたということですが、既に結婚する前から和枝さんは妊娠されており、入籍直後には男の子を出産されていたとか。
つまり交際が始まったのは福留選手がプロ1年目の1999年ということで和枝さんは2016年現在で44歳、息子さんは9歳で小学4年生になられているかなと思われます。
交際期間の間何度も結婚の決断を考えられてたようですが、成績があまりにも良くて、結婚が理由で翌年成績が下がったら嫁のせいだと言われる世界のためなかなか踏ん切りがつかなかったと言います。
アスリートの宿命といいましょうか、特にプロ野球選手は結婚した翌年の成績と嫁が関係してると思われがちなスポーツなんです。
その後福留孝介は和枝さんの誕生日にFA宣言をして、2008年にメジャー挑戦したわけです。こう見るとメジャーのタイミングと結婚は何か関係していたのかと思ってしまいますね。
福留選手はこれまで怪我など、たくさんの苦悩を経験していますがそういうことをどんなインタビューでも口にしないのがかっこいいです!
福留孝介(阪神)のプロ入団から現在2016年までの年俸が凄い
福留選手の野球人生においての年俸はこのようになっています。
・中日ドラゴンズ時代
1999年:1300万円
2000年:4200万円
2001年:4200万円
2002年:4200万円
2003年:1億2200万円
2004年:2億円
2005年:2億円
2006年:2億5500万円
2007年:3億8500万円
・カブス時代
2008年:7億円
2009年:12億5000万円
2010年:14億円
・カブス-インディアンス時代
2011年:14億5000万円
・ホワイトソックス時代
2012年:約1億円
・阪神タイガース
2013年:1億5000万円
2014年:1億5000万円
2015年:1億5000万円
2016年 2億
やはりメジャー時代の年俸が半端ないですね、2010年、2011年の14億に対して同じ年のイチロー選手はマリナーズ時代18億円でしたからね。
中日時代に比べるとメジャーでの成績は一気に下がってはいますが、あの厳しい環境で2008年から2011年までの年俸が右肩上がりというのも凄い話です。
さすが福留選手といったところですね。
現在、阪神での年俸は2億ですが、チームの4番打ったり常にクリーンアップには座っていますからね。
本拠地の広い甲子園で、しかも浜風にボールが戻されるという左バッター特有の不利な環境で2015年には20本塁打を放つのはやっぱり凄いなと思います。
まだまだ一線クラスで戦えそうだし少しでも長く現役を続けてほしいものですね。
福留孝介(阪神)の高校・中日時代が凄すぎ!
野球に詳しい方なら有名な話ですが福留選手の出身高校は名門の「PL学園」です。残念ながらPL学園は実質上廃部の状態になっていますが、数々の一流選手を輩出しており、福留選手もそのなかの一人です。
当時中日で活躍する立浪選手(PL学園出身)に憧れて、鹿児島から大阪のPL学園に進学を決めます。
PL時代はでは超高校級と呼ばれて1年の夏から4番を任されます。そして2年春のセンバツではベスト4に貢献。
3年春のセンバツでもセンターバック スクリーンに豪快な3ランを放つとプロのスカウトが福留選手に釘付けになったようです。
3年夏の地方予選で7本塁打を記録すると甲子園に出場し、これまた満塁やライトスタンド技ありのホームランを放ちこの時点でドラフトは複数の球団が競合することはわかりきっていた状態でした。
惜しくもPLは準々決勝で敗退し福留選手の甲子園優勝には届きませんでした。
そして、ドラフト会議では7球団が福留選手をドラフト1位で指名して当時近鉄バファローズが指名権を獲得しますが、以前から福留選手は「希望球団の中日・巨人以外なら社会人」と公言していた通り、日本生命に進み、アトランタオリンピック野球日本代表に選ばれたことも話題になりましたね。
そして1998年のドラフト会議で逆指名で中日にドラフト1位で入団したわけです。
福留選手はライトのポジションで強肩のイメージはありますが当時はPLは学園時代と同じ遊撃手でしたけど初年度からスタメンで出場すると132試合で打率.284 16本塁打 52打点とプロ1年目としては申し分のない成績を残し周囲を圧倒させることになります。
中日時代の福留選手は驚異的です。
1999年:132試合 打率.284 16本塁打 52打点
2000年:97試合 打率.253 13本塁打 42打点
2001年:120試合 打率.251 15本塁打 56打点
2002年:140試合 打率.343 19本塁打 65打点
2003年:140試合 打率.313 34本塁打 96打点
2004年:92試合 打率.277 23本塁打 81打点
2005年:142試合 打率.328 28本塁打 103打点
2006年:130試合 打率.351 31本塁打 104打点
2007年:81試合 打率294 13本塁打 13打点
怪我のシーズンもありましたけど、普通に考えたら凄い数字ですよね。
もちろん数々のタイトルを獲っています!
現在阪神でも4番やクリーンアップを打ってますので、福留選手の野球人生で主軸以外のイメージがないっていうのが規格外かなと。
あと、バッティングだけじゃなくて守備も球界屈指のレベルということで肩も強いです。
本来、中軸の選手は勝ってる試合の終盤になれば守備固めの選手と交代しますが福留選手の場合は最後まで守備についてて欲しいのがフロントの本音ではないでしょうか。
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管理人のまとめ
福留選手が2013年に阪神への入団が決まった会見のときに「暖かいご声援はいりません」といった感じのコメントをされていました。
これは活躍するまで声援は要らないという意味で、もし活躍できなければヤジってくださいということ。
阪神にきた当初は怪我に苦しんだり、不調で2軍落ちしたこともありましたけど、見てて勝負どころで必ず打ってくれるイメージがあることは阪神ファンは知っていましたし、2015年の活躍で福留選手を外様扱いすることは完全になくなっているように思えます。
結果的に福留選手は阪神ファンから愛されているのがよくわかります。
まだまだ現役に拘って攻守ともに魅了するプレーを見せてほしいですね。
今後の福留孝介選手に注目していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました☆彡
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